正かな質問箱

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 当初「正かなづかひ 理論と實踐」の附録として頒布してゐたものですが、ウェブ上でも公開します。

ネットで旧字旧かなを使う人って、一体何者?

 歴史的仮名遣を現代の生きた言葉として使用する人々の事です。ただし、それらの人々が一つのグループとしてまとまつてゐるわけではありません。歴史的仮名遣で書く事は共通してゐても、細かな部分では意見が異なる事もあります。

これは現代仮名遣いを使う人を非難する運動なのですか。

 いいえ。誰かが単に現代仮名遣いを使つてゐるだけで非難する事はありませんし、現代仮名遣いを使つてゐる人々とも普通に仲良く文章を遣り取りしてゐます。我々も学校や会社や役所へ提出する書類等は現代仮名遣いを使ひます。理想は忘れないのですが、そこは現実的な対応をします。

これは現代仮名遣いを廃止して歴史的仮名遣に戻すよう政府に働きかける運動なのですか。

 いいえ。どうしていちいちお上にお伺ひを立てる必要があるのですか。政府の方針とは関係なく、我々は勝手に歴史的仮名遣を使ふだけです。実際、俳句や短歌をはじめ、今なほ細々と生き続けてゐる表記ですが、政府非公認の国語表記であつても個人的に使ふ事は自由です。使ひたい人は使へばいいのですが、現代仮名遣いと違ひ、使ひたくない人にまで強制はしません。

現代仮名遣いのどこが気に入らないの?

 永年使はれてきた歴史的仮名遣の根本原理を簡単に捨て、その後より改善された仮名遣が来るかと思ひきや残念な部分も多く、しかもそれらが国語学者達の長い検討と討論の末決まつたり、国民の意見も聞いたり等ではなく、一部の表音主義者(言葉は発音通りに書くべきとする人)が密室で非民主主義的に決定して、あたかも「クーデター」のやうに変つてしまひ、簡単に戻すことが不可能になつてしまつた事です。

旧字旧かなは軍国主義的な政府による押しつけで、現代かなづかいは「みんなが使いやすい日本語」を民主主義的に採用した良い改革だったのでは。

 意外にも事実は全く逆で、「旧字旧かな」は「民間主体で発展した表記」、「新字新かな」は「国策で作られた表記」です。旧日本軍や殖民地の日本語教育でも表音式の仮名遣が一部で行はれました。また、旧字旧かなは民間で事実上の標準となり、長い年月を掛けて醸成されてきた表記を、明治政府が追認・整理したものでしたが、新字新かなは、それを簡単に捨てて、政府が一方的に決めた国語を国民に使はせたものでした。歴史的仮名遣は法律で全面禁止されたわけではありませんが、日常生活で現代仮名遣を使はざるを得ない状況に追ひ込まれたり、(丁度韓国で漢字を読めない世代を作り出す教育がなされたのに似て)旧字旧かなを読めない世代を作り出す学校教育によつて、現役の国語表記としては絶滅寸前まで追ひやられたのです。

今でも旧字旧かなを使う人は右翼なのですか。

 「旧字旧かな=軍国主義、右翼」といふのは「旧字旧かなを現代語の表記としては滅ぼして、新字新かなを普及させたい」人々の広める「レッテル貼り」「宣伝文句」に過ぎないので、真に受けないでください。

 それでは逆に、新字新かなを使ふ人は共産主義者なのでせうか。そんな事はないはずです。戦後、新字新かなに声を上げて反対したのは、右翼といふよりも、文学者や国語の専門家が中心でした。広辞苑の編纂者である新村出もその一人で、現代かなづかいで序文を書きたくないので、現代かなづかいでもあり歴史的仮名遣でもある文章をうまく作つたエピソードは有名です。小説家・エッセイストの丸谷才一も歴史的仮名遣で書いた事で有名ですが、思想的には右翼と正反対で、右翼からはあまりいい顔をされてゐません。
 このやうに、国語問題に関する立場と、政治的に左右どちらであるかは、必ずしも一致しません。左右どころか、そもそも政治的な事にあまり関心のない人も少なくありません。
 一方、「右翼」とか「保守派」を自称する団体や雑誌でも、団体名や「國體(国体)」など一部の語だけ旧字である以外は国語問題に無関心であるところが多数派で、むしろ「旧字旧かな」での投稿を迷惑がるところさへ有ります。長谷川三千子は「右翼だから旧字旧かな」と誤解されがちですが、実は右派の中では珍しい存在なのです。

「歴史的仮名遣」「旧仮名遣」「正仮名遣」は同じもの?

 厳密な違ひはありますが、似た意味です。ただし歴史的仮名遣を現代語に使ふ事を批判する人(歴史的仮名遣の研究者にも少なからずゐる)は「正仮名遣」の呼称を嫌がります。

歴史的仮名遣→狭い意味では「契沖仮名遣」つまり江戸時代の契沖の研究をベースにした仮名遣のこと(後述)。
旧仮名遣→現代かなづかいより前に使はれてきた仮名遣全般。仮名遣の決まりに厳密に従ふものもルーズなものも含む。
正仮名遣→歴史的仮名遣とほぼ同義。

「歴史的仮名遣」と「古文」「文語体」は同じもの?

 残念ながら、少し違ひます。確かに学校で学ぶ「歴史的仮名遣」は「古文」の「文語体」しか出て来ません。しかし、古文でも文語体でもない歴史的仮名遣もあります。夏目漱石や太宰治のやうな戦前の現代文・口語体の文章は、教科書や文庫等では現代仮名遣に修正されてしまつてゐますが、元々は歴史的仮名遣で書かれてゐました。戦後すぐ作られた日本国憲法も、原文は歴史的仮名遣です。

どうして古文を文語体で書いたり、万葉仮名で書いたりしないの?

 そんな決まりなど無いからです。前述した通り、戦後の国語改革を除けば、先人達の作り出したひらがなや口語文のやうな国語の変化を受け入れるからです。「歴史的仮名遣を使ふ」事と、「何でもいいからなるべく古いものを使ふ」事とは似て非なるものです。
 もちろん、文語文や、「万葉仮名の草書体」とも言へる変体仮名を使ふのが好きな人もゐますが、必須ではありません。

どうして旧かななのに左から右に横書きするの?

 仮名遣の問題と比べるなら、文字を書く方向など問題にするまでもない些細な事柄だからです。それに、左横書き(左から右に書く横書き)は戦前から実績のある書き方です。戦前の文献を調べるとすぐわかりますが、当時も、数学・科学・簿記・語学・音楽・時刻表等の分野では、数字やアルファベットとの親和性の高い左横書きが多用されてゐました。他方、右横書き(右から左に書く横書き)は、縦書きに一部混ぜて使つたり、横長のスペースに字を収める時によく使はれましたが、この分野でも左横書きが使はれる事が戦前からありました。我々が縦書きと横書きを必要に応じて使ひ分けるのと同じやうに、戦前は縦書きと右横書きと左横書きを使ひ分けてをり、我々もそれに倣つてゐるだけなのです。

どうしてカタカナの外来語を使うの?

 そんな決まりなど無いし、戦前の先人達もさうしてきたからです。「戦時中は英語由来のカタカナ語を使はないやうにとの風潮があつた」といふ話を皆さんも聞いた事があるでせう。歴史的仮名遣を使つてゐた戦前の書籍も、今と同じく普通にカタカナの外来語を沢山使つてゐた証拠です。

言葉は時代によって変わるものなのに、どうして時代の変化を受け入れずに、古い仮名遣にこだわるの?

 「言葉は時代により変化する」のは事実ですが、それを「言葉の決まりを好き勝手に変更して押し付ける」口実にして欲しくないのです。ですから、約千年にわたり仮名遣が洗練され国語が変化した事は受け入れても、戦後の国語改革がその成果を壊した事だけはどうしても許せないのです。

「歴史的仮名遣」の後継が「現代かなづかい」では。

 「ビール」と「第三のビール」、「蟹肉」と「カニカマ」位、根本が違ひます。そもそも「仮名遣」の元々の意味は、単なる仮名の書き方の決まりの意味ではなく、「仮名の使ひ分け」、たとへば「オ」の発音に対し、言葉や文法により「お」「ほ」「を」のどれを当てはめるか、といふ決まりのことです。現代かなづかいは「発音に複数の文字が当てはまるのは煩雑なので原則廃止」とした割に、名称だけは「かなづかい」としたのですが、「歴史的仮名遣の後継を自称して移行を促す」為の抜け目ない宣伝文句に過ぎません。まあ、助詞の「は・へ・を」や複合語の「ぢ・づ」、「エー」→「ええ、えい」、「オー」→「おお、おう」等、歴史的仮名遣由来のルールも一部残つてゐるので、仮名遣が全くないわけではありませんが。

言葉という「道具」は簡単な方が良いのでは。

 もし、ある携帯電話会社が「スマートフォンは使ひこなせない人がゐるので、今後発売される機種はみんな老人向けの従来型携帯電話になります」と発表したら、大反対するのではないでせうか。言葉もあまりにも簡単過ぎると簡単な事しか表現できなくなつて、結局それ以上の事は、教養のある人だけが「英語」を使つて表現する、なんて事になりかねません。日本人が日常生活で英語を使はずに済んでゐるのも、戦後の国語改革で辛うじて(抽象語を多く表現できる)漢字が残つたおかげでもあります。

一つの音に複数の仮名が当てはまる「歴史的仮名遣」は非効率的なのでは。

 「発音より語の構造を優先する」のに利点があるからで、わざと意地悪してゐるのではありません。漢字も一つの音に複数の漢字が当てはまりますし、現代仮名遣いにも歴史的仮名遣の規則を残した部分が一部あります(「ゆのみじゃわん」ではなく「ゆのみ」+「ちゃわん」とすぐわかる「ゆのみぢゃわん」と書く、等)。漢字も仮名遣も最初は確かに難しいのですが、慣れると、言葉の意味や、別の言葉との関係や、文法を理解しやすくなります。
 「言う」は「イ・ウ」ではなく「ユー」、「体育」は「タイク」、「気を付け」の号令は「キョーツケ」と発音されがちですが、それでも語の構造を優先して「いう(歴史的仮名遣では『いふ』)」「たいいく」「きをつけ」と書きます。「たいく」「きょおつけ」と書くと「育」や「気を」である事がわかりづらくなります。「発音通り」に偏る事なく、「単語の構造がわかりやすい」との適度なバランスが必要なのです。

明治より前の仮名遣は「歴史的仮名遣」と呼ばないのに、あたかも一緒の物のように扱って「歴史的仮名遣千年の伝統」などと呼ぶのは嘘つきでは。

 「歴史的仮名遣」といふ言葉には狭い意味と広い意味があります。狭義のものは、百人一首で有名な藤原定家の「定家仮名遣」を基に、江戸時代に契沖が誤を正した「契沖仮名遣」のこと、またはそれをベースに明治政府がまとめたものを呼ぶ固有名詞です。広義のものは、中学や高校の古文の教科書の解説文の通り、平安文学から近・現代の文学まで、平安時代の仮名遣をベースとした仮名遣全般を指す概念です。
 国語表記の歴史を大きく二つに分けると、「古来の書き方を手本にした時代」と「昭和の標準語の発音を手本にした書き方がもう一つ生まれて優勢になつた時代」に分かれます。この分け方では、「定家仮名遣」「契沖仮名遣」「(明治の)歴史的仮名遣」が一つの仲間に、「現代かなづかい(一九四六)」「現代仮名遣い(一九八六年改定)」がもう一つの仲間になりますし、現代かなづかいの登場以前は、昔の書き方をお手本にするといふ原則自体は約千年の間一貫してゐたので、「(広い意味での)歴史的仮名遣の千年の伝統」と呼ぶのは、決して誤りではないでせう。
 もし「歴史的仮名遣の伝統は明治時代に始まった」とみなすのであれば、「明治三十三(一九〇〇)年に明治政府が変体仮名を整理したので、ひらがなは平安時代のものではなく明治政府が創作したもの」とみなさないのはどうしてでせう。都合の悪い部分だけ伝統から外してゐる様にしか見えません。

江戸時代は仮名遣が混乱していたのだから、「歴史的仮名遣」の規範なんてものは明治時代まで無かつたのでは。

 確かに、江戸時代は醤油を「しやうゆ」ではなく「せうゆ」、泥鰌を「どぢやう」ではなく「どぜう」、「~ねえ」(~ないの意)を「~ねへ」等、一般的で無い仮名遣がよく見られました。いろはがるたでも、「良薬(本来は「りやうやく」)は口に苦し」が「り」ではなく「れ」に入つてゐました。
 江戸時代は現代仮名遣いや表音式仮名遣で書いてゐたのでせうか。いいえ、誤りは多くても現代仮名遣いより歴史的仮名遣に近い事は、少し調べればわかります。「当時の人が古来の表記だと解釈した書き方で書いた」が実態に近いでせう。
 確かに、「契沖仮名遣や定家仮名遣を厳密に守つてゐたのは国学者や歌人等の教養人だけ」といふのは真実かも知れませんが、本の流通や教育等が現代よりも限られてゐた割には優秀な方といへるかもしれません。
 それに、我々も現代仮名遣や漢字を間違へたり、わざと間違つた仮名遣や漢字で書くことさへあります。「そおゆうこと」とか「ふれ愛」の類です。しかし、これは「国語の決まりが存在しない」事を意味するでせうか。英語でも、She don't...とかYou was...等といつた文法的に不正確な表現が時折見られたり、「くまのプーさん」ではHUNNYやHOWSEの様に明らかに間違つた綴りが見られたりしますが、英語の文法が混乱してゐるとか、一般の人は正しい英語をとても使ひこなせない、といふ意味でせうか。それでは、江戸時代の仮名遣についても同じではないでせうか。
参考:江戸時代の仮名遣い 東海道中膝栗毛(当方とは関係のない外部サイトです)

正かなづかひ使用者には、字音仮名遣(漢字の音読みの仮名遣)を重視しない人が多いと思うのですが。

 外来語音である事と、大抵は漢字に隠れるので、国語仮名遣(和語の仮名遣)の復古に比べると優先順位としては低いと考へる人が多いものです。ただし、「重箱読み」「湯桶読み」や、「様(やう)」の様に漢語意識の薄れた語もあり、和語と漢語の明確な区別は難しいので、やはり字音仮名遣も重要だと考へる人も一部にゐます。私自身は、重要度としては国語仮名遣の方が高いとは思ふものの、ルビや仮名書きには「字音仮名遣も使ふ」派です。特に、漢文の教養がある人にとつては自然に感じられる仮名遣ではないかと考へます。

正かなづかひ使用者に、どうしても旧字にこだわる人と、新字も使う人がいるのはどうしてですか。

 「旧字」より「旧かな」の方が優先順位が高いからです。当用漢字やJIS漢字で独自に作られた新しい字形の問題は確かにありますが、略字そのものは昔から広く用ゐられてきたものです。一方、仮名遣を表音式にすべきといふ考へは歴史が浅い上に、「仮名遣を発音ではなく語源・意味によつて決める」といふ伝統的な仮名遣の思想とは相容れません。

学校や会社や役所に提出する書類にも、空気を読まずに旧字旧かなで書くのは迷惑なのでは。

 そこまではしません。「理想」と「現実」は違ひますし、そこは新字新かなを使ひます。でもそれは「新字新かなを正しい国語表記と認めて降参した」といふ意味ではありません。「現実問題として新字新かなで書く事を求められる局面も多く、その場合はそれに従ふが、本来は正字正かなが正統な国語表記だと信じ、もし文藝などそれが許される分野では、無理なく可能な範囲で積極的に用ゐる」のです。

言葉はコミュニケーションの道具なのに、旧字旧かなで書く人は、相手に読ませる気がないとしか思えないのですが。

 書き手に読ませる気がないのではなく、「どうせ自分には読めない」と最初からあきらめてゐるだけでは? コツさへ呑み込めばすぐ覚えられますし、アクセスをブロックした覚えもありませんから、どんどん挑戦して下さい(逆に、「言葉はコミュニケーションの道具」が座右の銘のはずのアンチ旧字旧かなの人々が、旧字旧かなで書くユーザを予めブロックする、ギャグみたいな事はよくあります)。仮名遣を学校で学んだのなら、あとは学校で学ばない「旧字」((http://seikana.org の「旧字虎の巻」PDF版も参考に)がわかれば大丈夫!
 「旧字旧かな」は「文化」です。インターネットでは、どんな言語・どんな綴字法で書くかは当人の自由ですし、「みんなが理解出来る芸能人やプロ野球の話題等だけ書くこと」といふ決まりも無く、コンピュータや哲学等の専門的な話題を書くのも自由ですから、その自由を活用したいと願ふのは自然な事です。「旧字旧かなで書いても読者層が限られるから自己満足なだけだ」といふ批判もありますが、読者数がそんなに重要なら、何故人口の多い英語や中国語で書かないのでせう。

旧字旧かなを面白がって使う連中は衒学的(知識のひけらかし)なのでは。

 「衒学的」といふ言葉自体が衒学的なのでは? 背景をよく観察せずに、自分の知らない知識を持つ人や、人とは違ふ特技を持つ人を軽蔑するのは、人としてどうかと思ひます。
 「旧字旧かなをエリートだけが独占する特殊な知識にしてはならない」が正かなづかひ使用者として主張したい事です。戦前は庶民も含めて皆が学んでゐた知識でしたし、戦後もそんな戦前教育世代の親や祖父母から学んだ人が少なくありません。

正かなづかひ使用者は旧字旧かなを読めない人を無知だとして馬鹿にしているの?

 無知だと馬鹿にしてゐるつもりは全くありません。戦後教育世代は旧字旧かなに慣れてゐなくて当然ですし、知らない・読めない事そのものは決して恥づかしい事ではありません。その責任は本人ではなく、旧字旧かなを学校教育から排除した政府にあります。
 それに、「旧字旧かなをみんなが読めないままでゐて優位に立ちたい」のでなく、「みんなが旧字旧かなを普通に読めるやうになつて欲しい」と願つてゐます。スムーズに読める人や、少なくとも興味を持つ人を増やしたいので、あへて「旧かな」(時には旧字も)で書いてゐる(つまり「布教手段」)、といふ人はよく見掛けますし、私も含め、その事で興味を持つて正かなづかひ使用者になつた人を大勢見掛けます。

インターネットで旧字旧かなを使う人に「読みづらいから普通の日本語で書いて欲しい」と書いたら怒られたのですが、どうしてそんなに攻撃的なのか理解できません。

 「本当にわからないので誠実にお願ひしてゐる」のか「遠回しの言葉で相手を馬鹿にしてゐる」のか判断しづらい事が時々あります。もし前者のつもりでしたらごめんなさい。
 私の観察する限り、「『實』という漢字は見た事ないのですが、何と読むのですか?」とか「すみませんが、私に対する返答に限っては新字新かなにしていただけませんか」といつた具合に、誠実な質問や依頼である事がはつきりわかる場合は、この種のトラブルは少ないやうに思へます。
 ネットでは、「『旧字旧かなは読みづらいから新字新かなで書いてくれ』と言ったら『新字新かななんて間違った表記を使うのは馬鹿だ』と返された」といつた噂がよく流れますが、多くの場合は「旧字旧かななんて現代にはふさわしくない表記を使うのは馬鹿だ」の類の非難に対して、「新字新かなだつて長い国語の歴史から見ると異質な表記と言へるし、それをあなたの理窟を真似して言ふなら、やはり非難されて然るべきではありませんか」と皮肉で言つてゐるだけの事が多いものです。新字新かなを使つてゐる事そのものではなく、「旧字旧かなを馬鹿にする態度」に怒つてゐるのです。

戦前教育を受けた世代が旧字旧かなを使うのは良いが、戦後教育世代が旧字旧かなを使うのは見ていて「痛い」。

 我々は戦前の文学や戦前教育世代の人々を「リスペクト」してゐるので、その真似をしたいと思ふのは極自然な事です。ビートルズをリアルタイムで知らない若い世代も、その音楽が素晴らしいと思つたらコピーバンドを作るのはよく見られる光景ですが、それと同じではないでせうか。

格式の感じられないくだけた文章に旧字旧かなを使うのはおかしいのでは。

 表記と格式は別の問題です。現代表記はどうでせう。その表記規則に従つて「正しい漢字」「正しい仮名遣い」を使つて文章を書くとしても、格式のある文章を書く事も出来れば、くだけた文章を書く事も出来ます。旧字旧かなも同じではないでせうか。実際、古典から近・現代の出版物に至るまで、格式ある文章だけでなく気楽でくだけた文章、ふざけた文章やエロい文章までもが綴られてきました。

旧字旧かなは一般人には難しいから、高等教育を受けたエリートだけに任せれば良いのでは。

 エリートが知識を独占する社会とは、一般庶民が無知のままにされ、一部のエリートに良いやうに利用される社会です。過去の文献が読めない社会とは、その一部のエリートが歴史を改竄してもその事実を確かめる事すら出来ない社会です。この点だけ見ても、基礎的な部分は知つておいた方が良いのではありませんか。

旧字旧かなを使う時代になんて戻らないんだから、こんな努力は無駄だ。

 「現実」が困難だからと「理想」まで捨て去るなんて悲しい事はありません。
 外国に実効支配されてゐる竹島や北方領土が日本に返還される可能性は絶望的に低いですが、それでも泣き寝入りせず声を上げないといけないと思ふ人は多いでせう。それと同じで、正かなが日本国の正書法として復活する可能性は絶望的に低いですが、それでも現実はともかく、過去の間違ひは間違ひとはつきり言はなくてはならない、と思つてゐます。それは、二度と同じ間違ひを繰り返さぬ為でもあります。

文字コード表や手書き入力で一つ一つ探して入力する手間の掛かる旧字体には、殺意しか感じられないのですが。

 もつと楽な方法があります。パソコンで旧字を入力する機会が頻繁にある場合は、ATOKの導入を検討してみてください。「文語モード」に切替へると、旧字や歴史的仮名遣での候補が表示されます。「文語」モードといふ名称ですが、旧字旧かなの口語文も入力可能です。
 または、有志が作成して無償公開してゐる、日本語入力システム向けの旧字旧かな辞書を導入する事も出来ます。詳しくはこのリンク集を御覧下さい。

正字辭書・正かな辭書

古語辞典には現代語の仮名遣が載っていませんが、わからない仮名遣はどのように調べるのですか。

 現代語の国語辞典を使ひます。大抵の場合、現代仮名遣の見出しの下に、歴史的仮名遣も一緒に掲載されてゐます。紙の国語辞典だけでなく電子辞書やネット版の辞書にも掲載されてゐる事が多いので、是非御活用下さい。

文責:押井徳馬(はなごよみ http://osito.jp)

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