Tears, tears, go away
Come again another day
Little Johney wants no spanks
Tears, tears, go away
お父さんにぶたれた。
僕は声を上げて泣いた。
“男だろ! 女みたいにめそめそするんじゃない!”と、またぶたれた。
僕は涙をこらえたかった。
でも僕の意志とは反対に、涙は
“泣くな、男だろ!”
鋭い声が、僕の胸にまた突き刺さる。
女の子はいいのに、ああ、どうして男の子は泣いちゃいけないの?
そう反論したいけど、でも、またぶたれるに決まってる。
“声を出すな! 声を出したら、またぶつぞ!”
僕は一生懸命声を抑えようとする。
だけど、一旦泣き癖が付いてしまうと、しゃっくりと同じで、そう簡単には止まらないのだ。
無理矢理止める唯一の方法は、気絶するまで息を止めること。
だけどそれは無理な話。
僕は悔しくてたまらない。
やっぱり、涙はいつまでもいつまでも止まらなかった。
ヒック、ヒックと、小さな声を立てて泣いていた。
(ああ、涙腺というものが綺麗さっぱり無くなってしまえば!)
僕は思った。
(そうすれば、いくら悲しくたって、一滴たりとも涙は出ないというのに!)
“いつまでもめそめそ泣いてるんじゃない! お前は女か?”
またお父さんにぶたれた。
悔しさがまるで大津波のように、胸の内からどっとわき出した。
自分ではどうすることもできないというのに……
しゃっくりは止まらない。涙も止まらない。
僕は布団にもぐって忍び泣きをしているうちに、いつの間にか眠ってしまった。
(もしかすると、お父さんの言ったように、僕は本当は女なのではないだろうか?)
僕は考えた。
(こんなに涙もろいし、喧嘩も強くないし、趣味も女っぽいし、……)
考えてみると、僕は、気付かないうちに、自分のいわゆる“女性的な部分”を隠そうとしていた。
赤やピンクの色が使われた洋服は、たとえそれが
動物の絵の入った可愛い筆箱は、家では使っても、決して学校へは持っていかなかった。
女の子が主人公になっている本を読むことは悪いことだと、固く信じて疑わなかった。
こんなに努力しているのに、涙もろさだけは隠せない。
学校にいる時だって、隠せない。
だから、本物の男にはなれない。
僕は、思いっきり泣いても、何も言われない女の子がとてもうらやましかった。
ああ、女の子に生まれ変われさえすれば――
しかし、毎朝僕が鏡の中をのぞき込んでも、そこに見つけるのは、不完全だけどしっかり男のままの、情けない自分の姿だった。
踏切が鳴った。
遠くから、特急さざなみ号がやってくる。
「お前は女か?」
「あなたは人間として失格よ!」
僕の頭の中で何度も何度もこだまする声。
そうなんだ。僕は男として、人間として失格なんだ。
“おいで、おいで。楽にしてあげよう”
何か大きな力が、僕を踏切の中へ連れていこうとする。
“自殺”って言葉は、小学1年生の時から知っていた。
“あんた馬鹿ね、大馬鹿ね、自殺して、死んじまえ”
そう言って頭をたたく、そんな遊び歌が流行っていたからだ。
警報機の音が、僕を“早く、早く”とせき立てる。
“ぷぅ”と一つ、汽笛の音も可愛げに、まぶしいヘッドライトと、クリーム色の車体が目の前にどんどんどんどん迫ってくる。
だけど、遮断機だけはくぐれなかった。
足がすくんで動けなかった。
“ゴーッ! ガタンガタン、ガタンガタン……”
轟音とともに、列車は走り去っていった。
小さくため息をついて、うつむき加減に見送る僕。
僕は泣きながら、もと来た道を、とぼとぼと戻っていった。
考えてみると、僕は本当に死にたいのではなかった。
ただ、助けを求めていただけだった。
自殺しようとしている僕を見て、誰かが助けに来てくれるのを待っていた。
でも、そんな人はいなかった。
僕の気持ちを知っていたのは、この地球上には誰もいなかった。
星空が、まぶしすぎるくらいきれいな夜だった。
「パンツ、見えてるよ」
女の子たちの話を小耳にはさんだ。
僕はあわててスカートのすそを直そうとした。
しかしすぐに気付いた、スカートなどはいていないことに。そして自分がズボンをはいた男であることに。
僕は時々、自分がまるで女性であるかのような錯覚に陥ってしまうことがある。
なぜだろう。
今でも女性的な性格が眠っているのだろうか。
いや、ある物事を男性的とか、女性的と分けること自体、ある意味で間違っているのかもしれない。
優しくて、ときどきちょっとセンチメンタルな男の子。
決して涙など見せず、元気いっぱいの強くて頼もしい女の子。
そういう子がいたって、おかしくないんじゃないかな。
いや、おかしくないに違いない!
元気も優しさも涙も、ひとりひとりの違ったアレンジがあるんだもの。
最近、そんな話をある女の子にしたことがあった。
すると、「わたしだって、昔は“男の子っていいな”って思ったことがあった」という答え。それは僕にとって意外だった。
「例えば、ちょっと足をくずして座ったり、ちょっとくだけた言葉を使っただけで、“女の子なのに、だらしない!”って言われたり、料理や皿洗いの手伝いも、お兄ちゃんがいくらひまそうにしていても、わたしばかり呼ばれたり。だから男の子がうらやましかった」
なるほど、女には女なりの苦労ってものもあるもんだ。
まあ、せっかく男として生まれてきたのだから、自信を持って生きていこう!
僕は決心した。
でも、“男だったら、泣くんじゃない!”とは、僕は決して言わないだろう。
できるものなら、泣き声を聞くのを我慢できずにいらだつ大人になる代わりに、さりげなくハンケチを渡してやる大人になりたい。
男だって、涙腺の構造は女と変わりはしないんだし、涙を女だけの専売特許にするのは、ちょっとずるい。
女もつらいけど、男もつらいのよ。
だから、泣きたい時には思いきり泣け!
男は一人で静かに泣くのが似合う。
そうだ、泣いて、泣いて、
そして、そのうちに、泣かなくてもよくなる時が来るだろう。
そんな僕も今では高校生。
気が付いてみると、僕は涙を忘れていた。
でも、涙と一緒に、何かも忘れてしまったのかもしれない。
出典:1994年8月発行「空中散歩」。一部加筆修正。
子供を泣かせるのがうまい大人は多いが、子供を泣きやませるのがうまい大人はほとんどいない。
最近、積水ハウスのCMで、(映画「ノンちゃん 雲に乗る」からのワンシーンだが)ノンちゃんがべそをかきながら道を歩いているシーンを見て、胸が痛くなった。
私は子供が泣いているのを見ると、なぜか胸がキュンと痛くなる。泣き顔がステキだからとかそういう意味じゃない。「きっと、泣く子に理解のある大人はほとんどいないのだろう……」と、自分の過去の経験とオーバーラップしてくるからだ。
私は子供の頃、よく泣いたものだった。そしてそのたびに、上の「泣き虫の法則」通りの待遇を受けてきた。
泣きながら何度も考えた。どうして涙を流すことはいけないんだろう? つらいことや悲しい気持ちを泣いて静めるのは、どうしていけないんだろう?
そして一つの結論に達した。「大人は、子供が泣いているのを見るに堪えなくて、無理矢理にでも泣きやませようとしているのだ」と。これはもしかしたら間違っているかもしれない。でも、一つのことは確かだ。つまり、大人が考えているほど、子供は単純に泣き止んだりなどしないものだ。
子供は泣いているとき、大人にどう扱って欲しいのか。これは人それぞれかもしれない。母親の胸に抱かれて安心を感じたいと思っている小さな子供も多いだろうし、逆に、だれの迷惑もかけない静かなところで、一人で思いきり泣きたい、という子もいると思う。私は後者だった。
それなのに、ほとんどの大人は、「どうしたの?」「かわいそうに……」「もう泣くなよ」などと、慰めの言葉さえかければ、どんな子だって必ず次第に泣きやむ、と思い込んでいる。私の周りの大人は、ほとんどがそうだった。
しかし、そんな人ばかりが大人ではなかった。私が教室で泣いていたある日のことである。その時、クラス担任の、ちょっと小太りの男の先生は私の手を引いて、だれもいない小部屋へ連れていった。そして言った、
「気がすんだら、戻ってきなさい」
この一言はとてもうれしかったことを今でも覚えている。それに、こんなことを言ってくれた大人は後にも先にも、その先生、たった一人だけだった。
出典:“ねえ、どうして?”(1994年11月発行「オアシス」掲載)より。一部加筆修正。