日本の植民地に先行導入された、「現代かなづかい」のプロトタイプ版

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 現代の日本では一般に、「旧字旧かな=戦前の反民主的な旧体制、新字新かな=戦後の民主的な新体制」「戦前は軍国主義的な右翼の影響力が強くて、仮名遣の表音化など国語改革がなかなか進まなかった。戦後は国語が民主化されて、やっと表音化された『現代かなづかい』になった」、と何となく思ってる人が多いものです。

 しかし歴史を紐解くと、これは必ずしも正しくない事がわかります。意外な事に、「現代かなづかい」のプロトタイプ的な日本語表記が全面的に学校教科書に採用されたのは、日本本土よりも、台湾などの植民地が先でした。それも、昭和の戦時中からではなく、明治時代末期からでした。

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地域により異なる植民地での日本語教育

 上の資料を見ると、台湾・朝鮮・南洋群島のそれぞれの教科書で、仮名遣が微妙に異なる事がわかります。どうやら、地域により細かな方針は異なるものだった様です。

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 この資料によると、台湾の場合、小川尚義の主張によって「表音的仮名遣」が教科書に採用された模様で、その小川氏の大学時代の先生が、仮名遣表音化運動に熱心なあの上田萬年だったとの事です。

 最初から最後まで徹底した表音仮名遣の教科書だった台湾と異なり、朝鮮では最初は表音仮名遣(ただし助詞は歴史的仮名遣)で日本語に慣れていき、途中で日本人と同じ日常の書き方である歴史的仮名遣に移行する方式でした。

 また、太平洋戦争(大東亜戦争)の時期の、東南アジア植民地での現地人への日本語教育も、地域により歴史的仮名遣だったり表音仮名遣だったりと、まちまちだった模様です。表音仮名遣は入門としては取っつきやすいかもしれませんが、「日本人が読み書きする本物の日本語とは異なる」点が現地人にあまり評判が良くなかったとも聞きます。

「国語の民主化」ではなく「時の政権を利用した」に過ぎない

 仮名遣の表音化を推進する勢力は、戦前は、別に「反軍国主義」や「民主化」の運動の一環として「現代かなづかい」のプロトタイプ的な表記を広めていったわけではありません。「日本本土ではみんな歴史的仮名遣で読み書きするのに慣れて、我々がせっかく仮名遣改定案を出したとしても、その導入がなかなか困難だが、植民地では現地人をゼロから教育出来るので、我々の提唱する新しい国語表記をいち早く広めよう」と、当時の日本の植民地主義をうまく利用して「植民地に、大東亜共栄圏に、新しい仮名遣の日本語を」広めていったのです。

 そして日本が戦争に負けると、今度は「軍国主義を取り除く」「民主化」を標榜するGHQの方針にうまく乗って、表音仮名遣を少々手直しした上で「現代かなづかい」の名前を付け、今度は日本本土の学校教育を通じて広めていきました。日本が植民地で広めてきたものにほぼ近い国語表記が今では「反軍国主義」とみなされたり、国民投票や国会で決を採らずに内閣告示の「鶴の一声」で一方的に決まった表記が「国語の民主化」とみなされたりするのは、何だか矛盾してる気がしますが、「GHQの支配下の時代のプロパガンダ」に由来するものなのです。

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