「戦前の横書きは、みんな右→左の方向で書かれた」といふ誤解が広まつてゐますが、結論から先に言ふなら、これは正しくありません。
数学の教科書、音楽の教科書、英語の教科書など、また技術書など、どうしても左横書き(左→右)の方が合理的な場合は左横書きもよく使はれました。
(図中だけ、「断面」の「断」の字が略字体であるのにも注目)
「右横書きとは、一行一文字で書く縦書きの一種だ」とする説もあります。寺社の扁額やのれんの文字などでは確かにその可能性が高いのですが、昭和初期の出版物を見てみると、鉤括弧等の約物(記号)が縦書き用ではなく右横書き専用のものの事があります。「横書きの事もあれば、一行一文字の縦書きの事もある」が正しいのかもしれません。
なほ、戦前の文献を見てみると、全体的に横書きになつてゐる本や雑誌はほとんど左横書きで、全体的に縦書きになつてゐる本や雑誌は横書き部分が右横書き(左横書きの事も)です。全頁にわたつて左横書きの本は戦前でも沢山ありましたし、縦書きの本の一部に一行とか数行の右横書きがあちこちに見られる、といふのも多かつたのですが、「全頁にわたつて右横書きの本」となると一冊も見た事がありません。そんな事をする位なら縦書きにした方がまだ合理的です。
結論として、最初から横書きでいいと割り切つてゐる場合は左横書き、縦書きの本の一部に横書きを混ぜたり、横長の空間しかない看板に文字を書いたりと、本来は縦書きだが便宜上どうしても横書きが必要な部分に使用するのが右横書きなのです。
佐藤紅緑「あゝ玉杯に花うけて」pp73-75
……英語の先生とは言ふものの、この朝井先生は猛烈な国粋主義者であつた、或日生徒は英語の和訳を左から右へ横に書いた。それを見て先生は烈火の如く怒つた。
『君等は夷狄の真似をするか、日本の文字が右から左へ書く事は昔からの国風である、日本人が米の飯を食ふ事と、顔が黄色である事と目玉が漆の如く黒く美しいことと、君に忠なる事と親に孝なる事と友に篤き事と先輩を敬ふ事は世界に対して誇る美点である、それを君等は浅薄な欧米の蛮風を模倣するとは何事だ、さあ手を挙げて見給へ、諸君のうちに目玉が青くなりたい奴があるか、天皇に叛かうとする奴があるか、日本を欧米の奴隷にしようとする奴があるか』
先生の涙が輝いた、生徒はすつかり感激して泣き出してしまつた。
『新聞の広告や、町の看板にも不心得千万な左からの文字がある、それは日本を愛しない奴等の所業だ。諸君はそれに悪化されてはいかん、いゝか、かういふ不心得な奴等を感化して純日本に復活せしむるのは諸君の責任だぞ、いゝか、解つたか』
此の日ほど烈しい感動を生徒に与へた事はなかつた。
『カトレットはえらいな』と人々は囁きあつた。
この作品が書かれた当時、左横書きは欧米風、右横書きは日本風といふ認識があつた事がわかります。この作品のカトレット先生みたいに、右横書きこそ日本語の正統な書き方といふ信念を持つ人も、どうやら少なくなかつたやうです。